それでも希望の咲く丘

ジャニオタ3年生

『山田』ってなんだ。

ーー山田ってなんだ。

 

実はこのタイトルで文章を書こうとして既に五回くらい挫折している。だって書き表せないことが多すぎるんだもの、てを。と筆を投げ出して畳の上に大の字になってしまいそうなほど情報が多いのだ。いや、情報が多いのだろうか、勝手に情報だと思っているだけでそれは取るに足らない瑣末な出来事なのかもしれないしこれだけ世の中に取り沙汰されない山田なのだからもう私の分厚くなった色眼鏡を通さなければ見えない幻影のようなものなのかもしれない。なんだそれは。雲をつかむようなという表現があるけれども山田とは正にそれだ、雲のようだ。硝子の少年のくせしてステイ・ウィズ・ミーしてくれないのだ、だってあの人達はアイドルなんだから。

 

山田ってなんだ。

さてこんばんは。こんにちはもこんばんはの方も閲覧有り難うございます。てこと申します。アバンタイトルが長すぎる、こういう芸風です。

 

そもそも山田ってなぁにという方は私のブログなんて読んでないと思うんですけど改めて説明すると「丸山」の「山」と「安田」の「田」で「山田」デースイェイイェイ!っていうコンビ芸を、Excite!!のボーナストラック及び8estツアーその他、デビュー前から関ジャニ∞黎明期に披露してくれている丸山隆平くんと安田章大さんのコンビの名前です。あくまでもへいせいじゃんぷの山田さんの話ではないので検索で引っかかってきちゃった皆さんすみません。じゃあ書き進めるね。

 

私は山田コンビが好きだ。山田コンビがいたから、関ジャニ∞を好きになったと言ってもいい。そのくらい、山田コンビに入れ込んでいる。

 

山田って関ジャニ∞におけるなんなんだろう。殆どこの二年近く、この命題と向き合ってきた。関ジャニ∞の名立たるシンメといえばヨコヒナ(横山&村上)と山田なのではないだろうかとさえ思っている。関ジャニ∞のなかに、「シンメ売り」というものが殆ど存在しない中、ヨコヒナがラジオやTVで目立った活動を行っているのは一目瞭然で、関ジャニ∞的シンメの定義があるとすればヨコヒナであろう。ヨコヒナとはレコメンで一般化した謂わば「公式のコンビ名」であろう。異論は認めるがここから先そういうていで進めていくのでそれが気に食わない方はページを閉じて猫ちゃんのことでも考えていてください。

 

まあそういうこのブログにおける私の持論を踏まえた上で、他のメンバーのコンビや、ユニット名、雑誌その他で呼称されるあまたあるコンビ名の中で、「山田」というコンビ名。由来は先人から聞くところに因ると以下のとおりである。

 

当時デビュー前に出ていた少クラに存在した、山Pが面白さをジャッジする一芸コーナーでKAT-TUN田中聖と中丸雄一のコンビが「田中」というコンビ名でコントをしており、その対抗馬として、丸山と安田「山田」が登場

 

つまり彼ら発信なのだ。

二人の二人だけのエピソードは枚挙に暇がなく、また「山田」コンビはJrの頃からシンメ扱いをされていたということはグループ内で彼らの背中を常に見ながら一緒に切磋琢磨し追いつけ追い越せてきた大倉忠義さんの証言によって裏付けされている。(∞祭パンフレット「DearEighter」より)その辺りの二人の確執のような、思春期特有の嫉妬心のようなものについてはまた別の機会を設けて考えたいと思っています。


兎にも角にも、ジュニア期の山田は本当にシンメだった。

これは妄想かもしれないし欲目かもしれないが、でもそう見るしか説明がつかないところがあるのだ。

有名な話だけれど、大阪の阪急百貨店前の高架橋で路上ライブをやっていたりだとか(ポポロ山田連載、関ジャム完全燃showなどの発言)、二人でお互いの家を行き来し、服や雑誌のあふれる安田くんの部屋でネタを合わせたり丸山さんの資料と書籍(笑)だらけの部屋で「はいどうも~」の練習をしたり、丸山くんのお父さんに中華屋に連れて行ってもらったりしていた(ポポロ山田連載)時代が、確かにある。

また、当時のJr名鑑や雑誌の切り抜きを見ていると、大体は安田くんが暖色(赤やオレンジ)で丸山さんが寒色(青や緑)で割り振られていることが多い。二人だけのインタビューや、見開きページの左右、集合写真の両端、そういう場所に配置される彼らを見るたびに私の妄想は妄想ではなく現実なのかもしれないと思うようになって、その後に大倉くんの発言を聞いて「嗚呼、やはりそうだったのだ」と思うに至った。

 

そんな二人が、2016年現在も正しくシンメであるかどうかについては、完全に私の欲目なのだけれどやっぱりまだ燦然と輝く星座のようにシンメであると声高に言っていきたい。

 

そもそも、ギターとベースだ。青とオレンジだ。お値段マルごと章大いむなのだ。関テレのあのコーナーを提案してくれた人には五体投地して感謝の祈りを捧げたいくらい。二人の名前を両方入れて、しかもあんなにグダグダ二人の空気感でやらせてくれて、番組改編コーナー改変の荒波の中、あのコーナーをずっと続けてさせてくれていることに感謝しかない。

ファンならきっと一度は山田の「硝子の少年」あるいは「愛のかたまり」を聞いたことがあるだろうと思う。つまるところKinKi Kidsのカバーである。KinKi Kidsジャニーズ事務所でも数少ない二人組ユニット。二人組ユニットはそのままシンメと言っていいのではないだろうか。それをそのまま当てはめて遜色なく、最高のハーモニーを生み出してくれる、そういう能力がある。ハモリ職人同士の歌う歌だからだとか、同じグループだから出来て当たり前とか、そういう見方も当然あるだろう、でもそういうことを言いたいのではない。

修二と彰でも、タッキー&翼でもなく、山田は関ジャニ∞におけるKinKi Kidsなのだ。

 

シンメと呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう。教えて偉い人。ただし論理的にね。

 

 

 

 

 

……さて、書き始めたものの終わる気配がないので、とりあえず一旦筆を置こうと思う。

次はいつになるかわかりませんが、次回に続く!

 

自担が何かを卒業するということ

さてこんにちは。おはようの方もこんばんはの方も閲覧有り難うございます。てこと申します。

 

自担が何かを卒業するということについて、レコメンを聞いて思ったこと、ポエミーな呟きなど、書き残しておいたほうがいいのかなって思ったのでブログを書きます。

 

2016.03.24-25 関ジャニ∞村上信五丸山隆平のレコメンより丸山隆平さん卒業。

私は発表があってからずっと「卒業」より「勇退」って言葉を使ってきたんですが、今日は判りやすく卒業、って書いていきます。

ちなみに

卒業

  1. [名](スル)
  1. 学校の全課程を学び終えること。
  1. ある段階や時期を通り過ぎること。

 

勇退

[名](スル)後進に道を譲るため、自分から官職などを退くこと。

 

意味合い的に、最初からポジティブな気持ちで『勇退』って言葉を使ってきました。ただ、後輩グループはそう思っていない様子であることをSNS経由で知ったので、丸山くん的には勇退でも、ファンにとってはそうではないな…と思った所がひとつあって、言い方は変えたほうがいいなと思いました。

 

まあ、兎にも角にも、三年。

私はジャニオタになったのがもうヒナマルのレコメンになってからだったので、ヨコヒナレコメンが好きで、色んな気持ちがある人達の気持ちは一生判って差し上げられませんし、判ろうとすることも、別に求められてないと思っています。だから、私は私が丸山くんとレコメンに思っていたこと、最終回を聴いて思ったことを書きます。前置き長すぎか。

 

最初に書いておきます。私は丸山くんにはレコメンという場所、時間帯でのラジオパーソナリティーは、向いてないと思っていましたし、思っています。最終回で初回放送の録音が流れましたが、やっぱり感想は一緒。保護者が居るからなんとかなるだろう、どうにかしてくれるだろう、そういう、気の緩み、声に出ちゃってるなと思います。初めてちゃんと聞いたレコメンが、丸山ピンクノート回で、TwitterのTLが一斉に「横山さんだったらこんな放送にはならない」「横山さん戻ってきて」右も左も上も下も、皆一様にそう云うのを見てしまったのも在るかもしれません。

私はその時思いました。

『皆横山さんに戻ってきてって言うなら、いっそ戻ってきてくれればいい。エゴサが好きな丸山さん、きっと彼もこのTLを見てしまっている、そんなふうに、予防線を張ったうえで彼を遠回しに傷つける場所なんか、いらない。』

今でもそう思っています。卒業を聞いた時、正直安心しました。丸山さんが、歯止めのきかない下ネタを、ガトリング砲よろしくぶっ放して、誰かの非難の的になる場所が無くなるのだ、と。丸山担としては失格だと思います。そう言われても仕方ないと思っています。本来なら丸山くんのお仕事が一つ減る!と号泣する場面かもしれません。でも、下ネタを一つ言う度に、丸山さんの優しさや、普段見えない所で張り巡らしている気配りより、『丸山隆平のシモネタは酷いぞ気をつけろ』が横行してしまう、それは正当な評価につながらない、彼の進路を塞いでしまうぞ、という勝手な不安があったのです。

だから、丸山くんを『がんばれ、これからも応援してるよ』って送り出して差し上げることが、私個人に出来る一つの区切りだなと思いながら、最終回を聞いていました。一個人のファンが、彼のファンで在り続けるための方法は、人それぞれだと思うので。

 

 

そんなふうに聴き始めたレコメン丸山くんの最終回。

終始笑いの絶えない放送だったと思います。シモネタ総決算と言ってもいい。ピンクノートの時間は丁度家族の相手をしていて聞き逃してしまいましたが、陰毛御神籤のはなし何回するねん!怒るぞ!

まあでも面白い話をして、リスナーを笑わせて、ずっとずっと笑っていて欲しいっていうのがいかにも丸山くんだなと思います。それはこれまで三年間ずっとずっと引っ張ってきてくれた、村上信五さんへの気配りだとも思いました。会話の途中で挟まれる、村上さんの「こんな話できるんも今日までか」って言葉、三十路を超えて涙もろくなった「信ちゃん」が、リスナーのメッセージを読みながら、涙声になったのが私も辛かったです。でも向かいの丸山くんはずっとずっと、なんちゅう顔してんねん、ありがとうな「信五」って、笑わそう、笑顔でいて、終わるまで泣かないで、もう少しだから、そういう声が聞こえてくるような気がしました。

泣かないで、といえば丸山隆平さんのファンを公言してくださる今井翼さんのtobase、これも凄く素敵でした。寧ろ私は此処で泣きのスイッチが入ってしまいました。

「これで、tobaseにゲストで呼べるね」って言って下さった先輩、オモイダマが素敵だと言って、後輩の曲を流してくれる先輩。オモイダマの歌詞に、

 

流れた涙、陰に隠れて でも見守る視線もあったんだ

誰かに向かった悔しさじゃなくて本当は自信がほしいだけ

 

ここの、丸山→村上のパート。今思い出しても、なかなかにヘビーです。涙腺ゆるっゆるです。

デビュー前後、なかなかダンスが覚えられなくて、周りに怒られてもへらへら笑っていた丸山さん。でも本当は一人で、見えない所で自分をぽかぽか叩いていたのを、村上さんが見つけたというエピソードを想起させてたまらないものがあります。

見えない所で自分を責める丸山さんを、優しく、時に厳しく、隣りに並んだり、前に立ったり、手を引いたりして導いてくれたのは、紛れも無く村上信五さんだったんだと思うと、勝手に感謝する気持ちになるし、そういうヒナマルの関係が大好きだなと思えてきて、きっと翼先輩はそんな具体的なエピソードをご存じないかもしれないけれど、今日のこの日に、オモイダマを選んで下さってありがとうございますと、思って自然に涙が溢れました。嗚咽でした。

そういう関係は、今後もきっと変わらないんだろうけど、それを聞かせて貰える機会が減るのはちょっと寂しい、そういう気持ちが漸く湧いてきて、ああ寂しいなぁ、って素直に言える自分も出てきました。

 

そこから、の大反省会続き、からの、終幕。

HeavenlyPhycho(原盤)を流してからの無限大のコンボ。丸山さんが選んだのかな、と思うと、今思うとほんと、丸山くんってそういうとこある!って感じの選曲ですが昨夜は歌い出しの内くんの、透明な歌声を聞いて、この歌を最後に持ってくるなんて狡いって思いました。最後の歌詞は「希望の歌」。この歌は、関ジャニ∞にとっての、希望の歌なんだなと思いました。レコメンで、内くんの声入りのこの歌を聞く日が来るなんて私は想像もしていませんでした(※)。自分が卒業する日に、これを流す意味も、多分丸山くんの考えていることに比べたら2%くらいしか理解できていないけど、それでも大事な意味があることだってことは痛いほど判る。

 

希望の歌、私達にとっての希望とは?少なくとも私にとっては丸山隆平さんのことです。

 丸山くんが、関ジャニ∞が、長い長い歴史の中で、培ってきたレコメンというホームグラウンドで、彼らはずっと、希望を歌っていたんだなって、そう思います。

 

丸山くんがアイドルでいてくれることが嬉しい、幸せだな、ありがとう。夏の舞台、頑張ってね、必ず会いに行くからね、去年一年、木曜日夜遅くまでラジオして、金曜日に大阪に入って土曜日にサタデープラスの生放送、レコメン→(Mステ→)サタデープラス(→リサイタル)って時も在ったし、肌荒れにも、暴飲暴食にも負けずにアイドルで居ることを選んでくれてありがとう。今年も、来年も、再来年も、十年後も、ずっと追いかけさせてください。

村上信五さん、村上さんは村上さんで、レギュラー番組の動きがあって、きっと色んな思いがあって臨んだレコメンだったと思います。今までも、いつでも、見送る側だった村上さん。感動屋さんの村上さんの豊かな感受性が丸山くんのちょっとひねくれた感受性を受け止めて、楽しい時間を作って下さった事、すごいことだと思います。まるやまりゅうへいってめんどくさいなあ!そんな風に言いながらもにこにこしていてくれる村上さん。どうかそんな表情を、これからはTVで、追いかけさせてください。

 

 

 そんなふうに思った『自担が何かを卒業する日』でした。

 

 

お読み下さりありがとうございました。

ではまた。

 

 

※へぶんりがヒナマルレコメンで初めて流れたわけでは無さそうですが自分で聞けた回では聞いたことがなかったという意味です

君の好きなとこ

さてこんばんは。こんにちはもこんばんはの方も閲覧有り難うございます。てこと申します。

 

ツイッターでも定期的に、丸山くんの好きなところについては悶々なMorningしてるんですが改めて纏めようというか、まあ長い書き物がしたいので支離滅裂になることうけあいなのですが前記事にもあります通り面白くなかったらページを閉じて猫ちゃんのことでも考えてくださいというスタンスでお願い致します。

 

まるやま君の好きなとこ

 

自担はエゴサ王子なのでまあ平仮名だったり漢字だったりカタカナだったり落ち着かない表記で申し訳ないのですがお察し頂ければと思います。まあまずまるやまりゅうへいって名前が好きですよね…筆で書いたら絶対綺麗に曲線が書けない自信がありますが平仮名で書いた時のご本人との親和性が高いなあと思っています。(全くの個人の感想です。)自担をどう呼ぶかって多分担当内で意見が別れる話題の一つだと思いますが私は最近は『まるやまくん』と平仮名で書くのがブームです。くるんくるんなところがまるやまくんぽい。かわいい。半年くらいまえまでは丸山さんって書いてた気がしますし、ピンクノート事件前後は申し訳ないですが呼び捨ててました。丸山こらー!って。丸山ピンクノート事件への私のモンスターペアレント的意見についてはまあ機会があれば。

あと、まるやまくんを「マルちゃん」と呼ぶのには抵抗があります。ひとつ目の理由は「自分がまるやまくんのことをそんなに馴れ馴れしく呼んでいい立場だと思えない」というのと、ふたつ目に、以前何かの折にふれてまるやまくんが後輩のジャニーズWEST濱田崇裕くんをお家に泊めた時に「朝から100%の『マルちゃん』をしてあげた」とお話されていたことがあって、(うろ覚えですみません)その時に私は「世間一般が見ている『マルちゃん』は、彼にとって自分とイコールではなくて、「する」ものなのだ」と思った瞬間に『マルちゃん』という呼び方だけは出来ないな、と思ったことが理由です。当然『マルちゃん』をしている時も彼だけれど、私が好きなのは『マルちゃん』をするまるやまくんだけではないな、そう思って居ます。ダンスが苦手で絶叫しながら逃げ出すまるやまくんも、ぜはぜはしながら村上くんにパーンセラピーを受けるまるやまくんも大倉くんが居ないと面白さが出せないまるやまくんも安田くんの面白さに嫉妬するまるやまくんも全部好きです、だから、丸山担を名乗っているのです、と。

そんな重たい感情を引っさげながら改めてまるやまくんのどこが好きか。

正直音楽には詳しくありません、主観的なことしか言えません。予めご容赦ください。多すぎるから箇条書きで。

 

●声

関パニの「マイナス100度の恋」の大サビの丸山くんの声は天使の歌声だと思っています。高い声も低い声も鼻にかかったような甘い声も全部好き。

●顔立ち

笑窪も可愛いんですが垂れ目に黒子に笑うとお口がハートになって鼻はキン肉マンになって眉毛は眉尻が太くて困り眉だしで可愛いパーツが整った顔面に全部乗っかってるの凄くないですか?!可愛い物全部盛りなんてバレンタイン時期のお菓子売り場か丸山くんの顔面以外にありません。パパの遺伝子ありがとう!ツイッターのフォロワーさんがまるやまくんのくちもとの黒子は水まんじゅうに似てるって言ってたことが合って超わかるそれってなったりすることもあります。好き。

●鳩胸

わたしほんとうにまるやまくんのはとむねがすき。

あっきもちわるいですねごめんなさい、でも好きなんです。丁度まるやまくんと出会った年が芦田愛菜ちゃん主演の「円卓」の公開年でした。後はみなさんおわかりですね?ジビキ先生最高かよ。ちょび髭とポロシャツとか…!!!ってなって映画館に足を運んで本編で号泣した後(私はあのお話割と好きです)あの校庭の体育の時間のシーンを反芻したりなどしました…いまはディスクが手元に有るのでいつでもジビキ先生に会えて幸せです。うっかり子供も居ないのにPTAになりたいとか言い出すところでした。まるやまくんの鳩胸ってほんとうに綺麗に鳩胸ですよね…筋肉王子の名をほしいままにしていると思います…だからあんまりわがままゆるふわボディになりすぎないで!と思ったりすることもあるんですがわがままゆるふわボディも結局好きだしこれが惚れた弱みかぁ~~~(大の字)

●指先

ベース弾いてる時のお手手が好きな人は多いと思います。ご多分に漏れず私も好きです。でもベース弾いてる時の伏し目も好きだったりしてお顔を見てる間にお手手のシーンが終わっちゃったりしているのがホント修行がたりないなと思います…修練を重ねて目を4つに増やしたいと思います。

●脚

長い。長いに越したことない。人生のうちでこの人は一回も「裾が余りすぎて裾上げ」とかしたことないんだろうな~って思います。もちろんボディに適切なサイズにするということはスーツを仕立てたりしてもらってることもあるであろうから全く無いとは思いませんが、だぼだぼのズボン、なんてことには成ったこと無いんだろうな…好き…ってすぐなります。村上くんとの足長コンビで丈の長い上着着せられがちなのも良い。

●なで肩

なで肩といえば横山くん、濱田崇裕くん、櫻井翔さんってイメージが私の中ではあるんですがまるやまくんも割となで肩だと思います。あの曲線が好き。鳩胸の項に通じるものになるんですが、筋肉質な人って首の横の筋肉?(調べたんですが僧帽筋のあたり?かな?)が発達してる印象があって、前出の濱田崇裕くんも同じ理由でなで肩だと思うんですが総じてまるやまくんの筋肉質な所が好きという結論になるのでしょうか。二の腕の筋肉も好きなんだよ…筋肉フェチなんだ…

●本気で照れると真っ赤になる所

照れ屋可愛い。真っ赤っ赤になるのほんとうに可愛い。女の可愛いは最高の褒め言葉なんだよまるやまくん聞いてる?!!!???!?

●我慢しきれず弱音を吐いちゃう所

これは今はどうなってるかわかりませんが今や山田担の中では殿堂入りエピソードである「嬉し恥ずかしラブレター」そして「ココロ空モヨウ宣伝の際のハピくる」においての安田くんからのリークではっきりしていることなんですが本音を言える人が限られてる所がもう、なんだか愛おしささえあるなって感じがします。本当にファンのことをよく考えてくれて、慈愛の心で我々に接してくれるまるやまくんの心のなかに出来た染みを洗ってくれる人が少なからず居るってところに感謝します。

●京都人ぽいところ

これはいつか「まるやまくんが「闇」といわれることについて」(仮題)として改めて書き込みたい議題なので簡単に済ませますが良くも悪くも京都人だなぁと思うんです。でもそういう人間臭さがまるやまくんの良いところです。無菌室で育ったんじゃないんだ、聖人君子じゃないんだって思わせてくれるちょっとの隙間が、愛しいじゃないですか。

●常に全てを肯定的に捉えようとする所

これってなかなか出来ることじゃないと思います。私がネガティブ思考な人間だからというのもあるかもしれませんがまるやまくんはマイナスな現象もプラスに捉えるハッキリした意志があります。どんなゲストさんが来ても、どんなことを聞いても自分の中に一旦全部飲み込んで、消化して、昇華して、プラスに捉えて相手を肯定する。「そんなわけあれへんやろ」と開口一番に言わない。優しさでもあるし思慮深さでもある。関西人としてはレスポンスの遅さを周りに怒られることもしばしばかも知れません。でも、考えていたから遅れてしまうんだよね、と、思いながら見てます。

 

まだまだある気がしますが丁度此処で3000字を超えましたのでお開きとさせて頂きます。また前記事にスター?をぽちっとしてくださったかたありがとうございます。システムはよく判ってませんが…。

 

ではまた。

 

ジャニオタとして三年目に入ったので愈々ジャニオタと名乗ろうと思う。

どうもはじめまして、こんにちはもこんばんはの方も閲覧有り難うございます。

ジャニオタというのは何かが高じるとブログなるものを始めると風の噂に聞いたのでジャニオタの私もしてみんとてするなり、という具合です。普段はごくごく一般的なオタクライフを送っています。てこと申します。

 

どうしてブログを書くに至ったかというよりは書き物をする媒体を何にするか考えた結果今一番よく書けそうな媒体がジャニーズの事だった、と言う感じなので本当に自分の整理のための与太話を書き連ねるのがココだと思っていただけましたら幸いです。まあワールドワイドウェブに常駐していたいタイプの生き物なので自己顕示欲は強いです。面白くなかったらページを閉じて猫ちゃんのことでも考えてください、というスタンスで。

 

さてタイトルをもう一度引っ張ってきますね。

ジャニオタとして三年目に入ったので愈々ジャニオタと名乗ろうと思う。

ああジャニオタになってしまったな、皆さんそう思ったことはあるんじゃないかと思います。オタクになるというのは総じてなろうと思ってなるものではなくて気が付いたらそうなってたものだと思うので多かれ少なかれそういう気持ちが芽生えたことくらいは皆あるんじゃないでしょうか。あるってことにして聞いてください、思ったこと無い人はごめんなさい。

 

私は関ジャニ∞丸山隆平くんを自担としています。何をもって自担とするかという定義についてはよく知りません。課金する時に名前を書く以外では

関ジャニ∞で誰が好き?

ジャニーズ事務所で誰が好き?

アイドルで誰が好き?

芸能人で誰が好き?

家族以外で順位をつけるなら誰が好き?

この位の規模まで大きくしても一等一番好きなのは丸山隆平くんなので私は丸山隆平くんを自担としてここ2年生きてきました。関ジャニ∞はデビュー12周年、私は未だ2年ですが私にとって2年というのはずいぶん長いです。その辺りは後述します。ってかこのブログ何文字まで書けるんでしょうか。

 

ジャニーズのアイドルを追いかけ始めて今年で漸く三年目になりました。そしてはっきりと『しばらくはこの趣味から抜け出すことはないな』と覚悟が決まったのでブログに記録しておこう、丁度2014年の2月に初めて彼らのライブDVD「47」を見たことを思い出したので思い立ったが吉日、書き始めたという具合です。

 

なぜジャニオタになって二年間ジャニオタであることに抵抗を抱いていたのか、まあ抵抗があったんです、好きな物を素直に好きというだけでいいのにそれに抵抗があるというのはもちろん素直な人からしてみれば疑問に思うこともあるかもしれませんが私自身少しもジャニーズアイドルという土地に馴染みのない人生を四半世紀送ってからのジャニオタへの転身だったので、どうにもちょっと、これまで好きになってきたジャンルと比べるとあまりに目まぐるしく、あまりに眩しく、そしてあまりに厳しい世界を好きになってしまって、覚悟がなかったんだと思います。

自分の話になりますが、丸山くんに出会うまで、私は二次元寄りのオタクでした。お絵かきが好きでアニメと特撮番組の好きな女オタクでした。実際旦那と一緒になったきっかけも特撮(仮面ライダー)だし、今でも毎週毎週スーパーヒーロータイムからのプリキュアを見て一週間で一番幸せな一時間半をありがたがり、夏には仮面ライダースーパー戦隊の映画を見、秋にはプリキュアの単独映画を見、冬は仮面ライダー×仮面ライダーを見、正月はVSシリーズを見、春にはプリキュア仮面ライダーを見るという……所謂東映のATMでした。でした、じゃない、東映のATMです。

 

それなのにどうして私はジャニオタになってしまったんだろう。いや、たまたま好きになった芸能人がジャニーズアイドルだっただけなのかもしれないんですが、それに飽きることもなく3年目、どう考えてもジャニオタです、それはもう、言い逃れが出来ません。東映のATMのくせに、ジャニオタでもある。もうそう言って生きていくしか無くなってしまいました。どうしてこの底なしの沼から一昨年の私は出ていけると思っていたんだろう。それはもう「アイドルという存在を軽んじていた」私であるからに他ならないとも思います。

どんなに長いアニメでも、サザエさんドラえもんのレベルに達しないかぎりはいつか終わりが来ます。関ジャニ∞が好きになり始めの頃に、私は今の旦那にこう言ったことを覚えています。

「どうせまた一年で飽きるから」

そう言った私に彼は

「そんなことないと思う、だってジャニーズは、最終回が来ないんだよ?

当時の彼に今の私が会えるとしたら

おいおまえ、ジャニーズにも最終回は来るぞ

ということは伝えていきたいとは思うんですが、兎にも角にも以前の私は覚悟が圧倒的に足りなかったな、と思う次第であります。一年で飽きると思っていた。というか一年くらいあれば当時好きだった仮面ライダーウィザードが最終回を迎えてしまった心の傷を癒やすことが出来ると思っていたんです。

癒えるっていうかもう現状ではウィザードの沼地跡にバオバブの木を移植してみたらめちゃめちゃ元気に育った、みたいなことになってます。バオバブの木って言うのは丸山くんとシンメの安田くんが特番で海外に…これはいいか、私にとって丸山くん(と安田くん)はバオバブの木みたいなものなのです。この話はまたいずれ。

 

そんな私のバオバブの木こと丸山くんとの出会いは関西テレビの「関ジャニ∞のジャニ勉」でした。そもそも関ジャニ∞といえばヨコヤマくんとシブタニくんしかわからなかった私がなんで横山担でもす担でもなく丸山担になったのか。平たく言えば彼の「マルちゃん」の部分で引きこまれ「丸山隆平」の部分を魅せつけられて、『女はギャップに弱い』の典型的な例としてドボンしたと言わざるを得ません。

私のジャニ勉のいちばん最初の記憶は波岡一喜さんのゲストの回です。その時「したいねん」のコーナーで即興コントをやることになって、素肌に赤の短ランを着てきたのが丸山くんでした。その頃名前もうろ覚えで、判りやすく大山田の名前だけわからない状態で番組も見ていたと思うのですがテレビを見終わった後に彼だけはハッキリと「あ、この人変な人だぞ」と思ったのを覚えています。次の日、当時勤めていた会社の先輩eighterに丸山くんが気になるといったことも覚えています。その発言を聞いて、その先輩が当時巡行中だったJUKEBOXツアーの丸山くんのブロマイドを、おみやげに買ってきたくれた、その写真を手にした時に物凄く印象が違って、めちゃめちゃにかっこよくてかわいくて、その衝撃を例える言葉が見つからないんですが会社のロッカールームで奇声を発して崩れ落ちたこととそれを指差されて笑われたことは覚えています。まさに落雷落ちる、でした。

それから47を借り、パッチアッパーズを借り、パッチを見る前に∞ESTを買って、自分でディスクを買ったらもう抜け出せないな、と思った気がします。その後にきちんと他のディスクも集めだした訳ですが、初めて自分で買った∞ESTのオープニングで、雨でできた水たまりに滑り込んでキラキラの水飛沫に変えた、ピンクとブルーの眩しい衣装の丸山くんが、今でも一番好きな丸山くんだなあと思う次第です。

 

変な人で、かっこよくて、優しくて、頑固で、照れ屋で可愛い丸山くんを、ずっと応援していこう、そう思えるようになるまでは長くかからなかったんですが、では関ジャニ∞全体を応援していこうと思えるようになるまでは、と考えると、やっぱりちょっと腰が重たかったように思います。

 

3000字、そろそろキーボードと向かい合うにも限界です。ここまで読んで下さってありがとうございました。

 

ではまた。