それでも希望の咲く丘

ジャニオタ3年生

ジャニオタとして三年目に入ったので愈々ジャニオタと名乗ろうと思う。

どうもはじめまして、こんにちはもこんばんはの方も閲覧有り難うございます。

ジャニオタというのは何かが高じるとブログなるものを始めると風の噂に聞いたのでジャニオタの私もしてみんとてするなり、という具合です。普段はごくごく一般的なオタクライフを送っています。てこと申します。

 

どうしてブログを書くに至ったかというよりは書き物をする媒体を何にするか考えた結果今一番よく書けそうな媒体がジャニーズの事だった、と言う感じなので本当に自分の整理のための与太話を書き連ねるのがココだと思っていただけましたら幸いです。まあワールドワイドウェブに常駐していたいタイプの生き物なので自己顕示欲は強いです。面白くなかったらページを閉じて猫ちゃんのことでも考えてください、というスタンスで。

 

さてタイトルをもう一度引っ張ってきますね。

ジャニオタとして三年目に入ったので愈々ジャニオタと名乗ろうと思う。

ああジャニオタになってしまったな、皆さんそう思ったことはあるんじゃないかと思います。オタクになるというのは総じてなろうと思ってなるものではなくて気が付いたらそうなってたものだと思うので多かれ少なかれそういう気持ちが芽生えたことくらいは皆あるんじゃないでしょうか。あるってことにして聞いてください、思ったこと無い人はごめんなさい。

 

私は関ジャニ∞丸山隆平くんを自担としています。何をもって自担とするかという定義についてはよく知りません。課金する時に名前を書く以外では

関ジャニ∞で誰が好き?

ジャニーズ事務所で誰が好き?

アイドルで誰が好き?

芸能人で誰が好き?

家族以外で順位をつけるなら誰が好き?

この位の規模まで大きくしても一等一番好きなのは丸山隆平くんなので私は丸山隆平くんを自担としてここ2年生きてきました。関ジャニ∞はデビュー12周年、私は未だ2年ですが私にとって2年というのはずいぶん長いです。その辺りは後述します。ってかこのブログ何文字まで書けるんでしょうか。

 

ジャニーズのアイドルを追いかけ始めて今年で漸く三年目になりました。そしてはっきりと『しばらくはこの趣味から抜け出すことはないな』と覚悟が決まったのでブログに記録しておこう、丁度2014年の2月に初めて彼らのライブDVD「47」を見たことを思い出したので思い立ったが吉日、書き始めたという具合です。

 

なぜジャニオタになって二年間ジャニオタであることに抵抗を抱いていたのか、まあ抵抗があったんです、好きな物を素直に好きというだけでいいのにそれに抵抗があるというのはもちろん素直な人からしてみれば疑問に思うこともあるかもしれませんが私自身少しもジャニーズアイドルという土地に馴染みのない人生を四半世紀送ってからのジャニオタへの転身だったので、どうにもちょっと、これまで好きになってきたジャンルと比べるとあまりに目まぐるしく、あまりに眩しく、そしてあまりに厳しい世界を好きになってしまって、覚悟がなかったんだと思います。

自分の話になりますが、丸山くんに出会うまで、私は二次元寄りのオタクでした。お絵かきが好きでアニメと特撮番組の好きな女オタクでした。実際旦那と一緒になったきっかけも特撮(仮面ライダー)だし、今でも毎週毎週スーパーヒーロータイムからのプリキュアを見て一週間で一番幸せな一時間半をありがたがり、夏には仮面ライダースーパー戦隊の映画を見、秋にはプリキュアの単独映画を見、冬は仮面ライダー×仮面ライダーを見、正月はVSシリーズを見、春にはプリキュア仮面ライダーを見るという……所謂東映のATMでした。でした、じゃない、東映のATMです。

 

それなのにどうして私はジャニオタになってしまったんだろう。いや、たまたま好きになった芸能人がジャニーズアイドルだっただけなのかもしれないんですが、それに飽きることもなく3年目、どう考えてもジャニオタです、それはもう、言い逃れが出来ません。東映のATMのくせに、ジャニオタでもある。もうそう言って生きていくしか無くなってしまいました。どうしてこの底なしの沼から一昨年の私は出ていけると思っていたんだろう。それはもう「アイドルという存在を軽んじていた」私であるからに他ならないとも思います。

どんなに長いアニメでも、サザエさんドラえもんのレベルに達しないかぎりはいつか終わりが来ます。関ジャニ∞が好きになり始めの頃に、私は今の旦那にこう言ったことを覚えています。

「どうせまた一年で飽きるから」

そう言った私に彼は

「そんなことないと思う、だってジャニーズは、最終回が来ないんだよ?

当時の彼に今の私が会えるとしたら

おいおまえ、ジャニーズにも最終回は来るぞ

ということは伝えていきたいとは思うんですが、兎にも角にも以前の私は覚悟が圧倒的に足りなかったな、と思う次第であります。一年で飽きると思っていた。というか一年くらいあれば当時好きだった仮面ライダーウィザードが最終回を迎えてしまった心の傷を癒やすことが出来ると思っていたんです。

癒えるっていうかもう現状ではウィザードの沼地跡にバオバブの木を移植してみたらめちゃめちゃ元気に育った、みたいなことになってます。バオバブの木って言うのは丸山くんとシンメの安田くんが特番で海外に…これはいいか、私にとって丸山くん(と安田くん)はバオバブの木みたいなものなのです。この話はまたいずれ。

 

そんな私のバオバブの木こと丸山くんとの出会いは関西テレビの「関ジャニ∞のジャニ勉」でした。そもそも関ジャニ∞といえばヨコヤマくんとシブタニくんしかわからなかった私がなんで横山担でもす担でもなく丸山担になったのか。平たく言えば彼の「マルちゃん」の部分で引きこまれ「丸山隆平」の部分を魅せつけられて、『女はギャップに弱い』の典型的な例としてドボンしたと言わざるを得ません。

私のジャニ勉のいちばん最初の記憶は波岡一喜さんのゲストの回です。その時「したいねん」のコーナーで即興コントをやることになって、素肌に赤の短ランを着てきたのが丸山くんでした。その頃名前もうろ覚えで、判りやすく大山田の名前だけわからない状態で番組も見ていたと思うのですがテレビを見終わった後に彼だけはハッキリと「あ、この人変な人だぞ」と思ったのを覚えています。次の日、当時勤めていた会社の先輩eighterに丸山くんが気になるといったことも覚えています。その発言を聞いて、その先輩が当時巡行中だったJUKEBOXツアーの丸山くんのブロマイドを、おみやげに買ってきたくれた、その写真を手にした時に物凄く印象が違って、めちゃめちゃにかっこよくてかわいくて、その衝撃を例える言葉が見つからないんですが会社のロッカールームで奇声を発して崩れ落ちたこととそれを指差されて笑われたことは覚えています。まさに落雷落ちる、でした。

それから47を借り、パッチアッパーズを借り、パッチを見る前に∞ESTを買って、自分でディスクを買ったらもう抜け出せないな、と思った気がします。その後にきちんと他のディスクも集めだした訳ですが、初めて自分で買った∞ESTのオープニングで、雨でできた水たまりに滑り込んでキラキラの水飛沫に変えた、ピンクとブルーの眩しい衣装の丸山くんが、今でも一番好きな丸山くんだなあと思う次第です。

 

変な人で、かっこよくて、優しくて、頑固で、照れ屋で可愛い丸山くんを、ずっと応援していこう、そう思えるようになるまでは長くかからなかったんですが、では関ジャニ∞全体を応援していこうと思えるようになるまでは、と考えると、やっぱりちょっと腰が重たかったように思います。

 

3000字、そろそろキーボードと向かい合うにも限界です。ここまで読んで下さってありがとうございました。

 

ではまた。