それでも希望の咲く丘

ジャニオタ3年生

『山田』ってなんだ。

ーー山田ってなんだ。

 

実はこのタイトルで文章を書こうとして既に五回くらい挫折している。だって書き表せないことが多すぎるんだもの、てを。と筆を投げ出して畳の上に大の字になってしまいそうなほど情報が多いのだ。いや、情報が多いのだろうか、勝手に情報だと思っているだけでそれは取るに足らない瑣末な出来事なのかもしれないしこれだけ世の中に取り沙汰されない山田なのだからもう私の分厚くなった色眼鏡を通さなければ見えない幻影のようなものなのかもしれない。なんだそれは。雲をつかむようなという表現があるけれども山田とは正にそれだ、雲のようだ。硝子の少年のくせしてステイ・ウィズ・ミーしてくれないのだ、だってあの人達はアイドルなんだから。

 

山田ってなんだ。

さてこんばんは。こんにちはもこんばんはの方も閲覧有り難うございます。てこと申します。アバンタイトルが長すぎる、こういう芸風です。

 

そもそも山田ってなぁにという方は私のブログなんて読んでないと思うんですけど改めて説明すると「丸山」の「山」と「安田」の「田」で「山田」デースイェイイェイ!っていうコンビ芸を、Excite!!のボーナストラック及び8estツアーその他、デビュー前から関ジャニ∞黎明期に披露してくれている丸山隆平くんと安田章大さんのコンビの名前です。あくまでもへいせいじゃんぷの山田さんの話ではないので検索で引っかかってきちゃった皆さんすみません。じゃあ書き進めるね。

 

私は山田コンビが好きだ。山田コンビがいたから、関ジャニ∞を好きになったと言ってもいい。そのくらい、山田コンビに入れ込んでいる。

 

山田って関ジャニ∞におけるなんなんだろう。殆どこの二年近く、この命題と向き合ってきた。関ジャニ∞の名立たるシンメといえばヨコヒナ(横山&村上)と山田なのではないだろうかとさえ思っている。関ジャニ∞のなかに、「シンメ売り」というものが殆ど存在しない中、ヨコヒナがラジオやTVで目立った活動を行っているのは一目瞭然で、関ジャニ∞的シンメの定義があるとすればヨコヒナであろう。ヨコヒナとはレコメンで一般化した謂わば「公式のコンビ名」であろう。異論は認めるがここから先そういうていで進めていくのでそれが気に食わない方はページを閉じて猫ちゃんのことでも考えていてください。

 

まあそういうこのブログにおける私の持論を踏まえた上で、他のメンバーのコンビや、ユニット名、雑誌その他で呼称されるあまたあるコンビ名の中で、「山田」というコンビ名。由来は先人から聞くところに因ると以下のとおりである。

 

当時デビュー前に出ていた少クラに存在した、山Pが面白さをジャッジする一芸コーナーでKAT-TUN田中聖と中丸雄一のコンビが「田中」というコンビ名でコントをしており、その対抗馬として、丸山と安田「山田」が登場

 

つまり彼ら発信なのだ。

二人の二人だけのエピソードは枚挙に暇がなく、また「山田」コンビはJrの頃からシンメ扱いをされていたということはグループ内で彼らの背中を常に見ながら一緒に切磋琢磨し追いつけ追い越せてきた大倉忠義さんの証言によって裏付けされている。(∞祭パンフレット「DearEighter」より)その辺りの二人の確執のような、思春期特有の嫉妬心のようなものについてはまた別の機会を設けて考えたいと思っています。


兎にも角にも、ジュニア期の山田は本当にシンメだった。

これは妄想かもしれないし欲目かもしれないが、でもそう見るしか説明がつかないところがあるのだ。

有名な話だけれど、大阪の阪急百貨店前の高架橋で路上ライブをやっていたりだとか(ポポロ山田連載、関ジャム完全燃showなどの発言)、二人でお互いの家を行き来し、服や雑誌のあふれる安田くんの部屋でネタを合わせたり丸山さんの資料と書籍(笑)だらけの部屋で「はいどうも~」の練習をしたり、丸山くんのお父さんに中華屋に連れて行ってもらったりしていた(ポポロ山田連載)時代が、確かにある。

また、当時のJr名鑑や雑誌の切り抜きを見ていると、大体は安田くんが暖色(赤やオレンジ)で丸山さんが寒色(青や緑)で割り振られていることが多い。二人だけのインタビューや、見開きページの左右、集合写真の両端、そういう場所に配置される彼らを見るたびに私の妄想は妄想ではなく現実なのかもしれないと思うようになって、その後に大倉くんの発言を聞いて「嗚呼、やはりそうだったのだ」と思うに至った。

 

そんな二人が、2016年現在も正しくシンメであるかどうかについては、完全に私の欲目なのだけれどやっぱりまだ燦然と輝く星座のようにシンメであると声高に言っていきたい。

 

そもそも、ギターとベースだ。青とオレンジだ。お値段マルごと章大いむなのだ。関テレのあのコーナーを提案してくれた人には五体投地して感謝の祈りを捧げたいくらい。二人の名前を両方入れて、しかもあんなにグダグダ二人の空気感でやらせてくれて、番組改編コーナー改変の荒波の中、あのコーナーをずっと続けてさせてくれていることに感謝しかない。

ファンならきっと一度は山田の「硝子の少年」あるいは「愛のかたまり」を聞いたことがあるだろうと思う。つまるところKinKi Kidsのカバーである。KinKi Kidsジャニーズ事務所でも数少ない二人組ユニット。二人組ユニットはそのままシンメと言っていいのではないだろうか。それをそのまま当てはめて遜色なく、最高のハーモニーを生み出してくれる、そういう能力がある。ハモリ職人同士の歌う歌だからだとか、同じグループだから出来て当たり前とか、そういう見方も当然あるだろう、でもそういうことを言いたいのではない。

修二と彰でも、タッキー&翼でもなく、山田は関ジャニ∞におけるKinKi Kidsなのだ。

 

シンメと呼ばずして、なんと呼べばいいのだろう。教えて偉い人。ただし論理的にね。

 

 

 

 

 

……さて、書き始めたものの終わる気配がないので、とりあえず一旦筆を置こうと思う。

次はいつになるかわかりませんが、次回に続く!